週末は、ルワンダ大使館とシネマアフリカ主催の「映画が伝えるルワンダ虐殺」の最終日。上映作品は『4月の残像』。日本では、多分レンタルされていないので、なかなか見ることができない映画です。そんな貴重な作品を、同じルワンダ派遣予定隊員と一緒に観てきました。
原題は『SOMETIMES IN APRIL』。
ツチ族の女性と結婚していたフツ族の兄と、虐殺発生時にラジオのDJを務めていた弟の話。虐殺から10年たっても、あの時と変わらず4月になるとルワンダでは雨期がスタートし、雨が降る。そんな日は、いつもあの時を思い出す。
駐日大使は、『ホテルルワンダ』や『ルワンダの涙』のように実話を元にしたストーリーではないけれど、大虐殺が起こった際の国の様子が一番よく描かれている映画だとおっしゃっていましたが、本当に、そうだと感じました。虐殺時、そしての今を生きる人々の苦悩が描かれています。
「ラジオは人を殺さない。人が人を殺すのだ。」
果たして、本当にそうなのか。実際に手を下した人だけが悪いのか。ラジオでの呼びかけが、ルワンダの大虐殺に影響しているといわれています。ヘイトスピーチと表現の自由については、今の社会でも考えなければならない問題のひとつ。
日本にも、関東大震災時に朝鮮人を虐殺した過去があります。なぜ同じことは繰り返されるのか。私たちももっと日本の過去ことを知る必要があるのでしょう。
そして、アメリカの平和な風景と、ルワンダの残虐な状況の比較も印象的。「虐殺的行為と虐殺との違いは何ですか」っていう記者会見の様子はこの映画でも使われていて、毎度のことながら「どっちでもええわ!そんなこと言ってる場合ちゃうやろ。」と思ってしまいました。どこの国の記者も言葉の揚げ足を取るのが好きなのかしら。もうね、「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」という気持ちになります。自分が幸せに暮らしているとき、地球の裏側では悲しいことが起こっていると、改めて気づかされます。悔しいなぁ。
「ツチ族とフツ族とから生まれた僕たちは何族なの?」という子どもの質問にお父さんが「いつか、ルワンダ人になるといいね」と言っていた通りになっているといいな。そしていつか、日本人とかルワンダ人とかの垣根を越えて、同じ人間として暮らせる日が来ればいいなと思うのです。